御由緒・御神徳
御由緒
正保元年(西暦1644年)九月十八日、近江国日吉山王宮(現滋賀県大津市比叡山鎮座山王総本宮日吉大社)の神霊を上大津椋天神(古宮飛び地境内神社 摂社菅原神社)に勧請。
「肥後神祠正鑑」(弘化四年著)には「元、菅神椋木に勧請し、当所の鎮守とす。
此の地東面にして馬場下は官道の駅町也。嘗て神威厳強にして、若し乗馬の者前道を通るとき忽ち落とし給ふ。
故に加藤君当町上並杉植立の時神前を南面に移し給ひ、正保三年同地に上七社を建立し、彼の椋天神は付属の如くなりたり。」とある。
御鎮座以来藩主の崇敬篤く、参勤交代往復の道中安全・武運長久と宿駅道中旅人の安全、大津郷中の五穀豊穣を祈る祈願所・菊池東部地域の総社として崇められる。
宝暦三年(西暦1751年)、藩の書達により藩主江戸参勤上下の節海陸安全武運長久の祈祷を命じ、永例となりて明治維新に至る。
宝暦七年(西暦1757年)三月、合志郡の大社・五穀成熟祈願所と定められ、正月五月九月には盛大且つ厳かに祭事が行われ、明治維新に至る。
明治五年(西暦1872年)郷社に列せられる。
明治四十年九月(西暦1907年)神饌幣帛料共進指定社に列す。
偶々大正十一年九月五日夜、火災に罹り神殿・幣殿・拝殿・摂社皇大神宮社等の御社殿焼失、(琴平社・参籠舎は火災を免れる)
新しく社地を十文字山東嶽城祉(舞鶴城とも云う)の現在地に移して造営、昭和三年四月十八日御遷座祭を行い今日に至る。
- 祭礼
4月18日 | 御遷座記念大祭(春祭・つつじ祭) |
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11月18日 | 例祭 |
- 山王神猿にまつわるもの
古来猿は馬の病害を守る神と尊ばれる。日光東照宮の「三猿」も厩の長押に彫られています。
猿が馬を引いた図柄を刷ったお札を厩にはる風習が伝わっています。
御神徳
日吉神社は地主神、衣食住を守護下さる神・家造り人づくりの神として、また日常生活の全ての「魔」を除き、福を授ける「魔除け厄除け鬼門除けの神」 「日吉大黒福の神」と親しまれます。
御祭神「大國主神」様は、 出雲の神様・大黒様の「いなばの白兎」神話が物語るように、不治の病を癒すとの御神徳が高く、願いが叶ったお礼の奉納品は境内を賑やかにしています。
色々な願いは「魔」を除いてこそ成就します。
日吉大神は江戸時代の合志郡大津郷(大津菊陽旭志南阿蘇地方の発展の祖神として詣でる人々を護り導かれます。
厄除け方除け鬼門除け・交通旅行安全・車入魂清祓・家内安全・商売繁盛・事業繁栄職場・安全・安産子授け・良縁結び・学業成就・試験合格・必勝開運・病気平癒手術成功・医療医薬業務安全・酒造業・農林業・畜産業・茶業・芸能
の守護神として尊ばれます。
- 山王神猿
境内のあちこちに猿の石造が据えられ、拝殿や社務所は猿グッズでいっぱいです。神社では昔から神様のお遣いの猿を「神猿 まさる」と呼んで尊びます。「魔去る」「勝る・優る」とか「増さる」に通じる縁起の良いものと大切にされます。
猿は夫婦仲が良く親子の愛情も深い動物で、犬と同じようにお産が軽く沢山の子供に恵まれることから、夫婦円満・子授け・安産・子育てに力を添えてくれると皆に親しまれます。
- 山王神猿 御(五)猿で神のお使いで五猿(ござる)
古くより神社に伝わるものです。
神の御心に叶う合掌拝み猿 | 魔(悪)を祓い去る振り鈴猿 |
心身の罪穢れを祓う御幣猿 | 末広がりの幸を招く扇猿 |
安産子授け・延命招福を願う桃の実・子抱き猿 |
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